§ 水無瀬
古巣の町の本屋さんへ行った。書店員のMさんにあらかじめ来店を伝えようかと迷ったが、それによって出勤時間を変更させたりしたくなかったから、直接行くことにした。
それに、私にとってこの本屋さんは、家路に着く前にちょっとどこかに立ち寄りたい気分の時や、どうも収まりのつかない気持ちになっている時などに足が向かう場所だから、「予定」が似つかわしくない。
ひょっこり自動ドアから顔を出す。レジ台にいたMさんを驚かせた。
懐かしい友に会ったと、笑顔で迎えてくれた嬉しさよ。
Mさんとは前置きなしにここ数年の肝心要の出来事を話すことができてしまう。わたしは出来事のダイジェストを簡潔にうまく話せるほうではない。だから、まるで圧縮された謎の袋をMさんに手渡すような事態でもある。彼はその袋をそっと開けて、中に空気を入れるように聞いてくれる。そして、中身に呼応するように今度は自分の話を語りだす。わたしたちのやり取りは、いつもレジ台を挟んでの立ち話だから、間隔を置いてお客さんが本を購入する。
それからいつものように店内を、本の森を巡回する。本の合間に、小石や貼り紙やオブジェが天井から足元まで、ちらほらと見受けられる。今までこんな質問したことないけど「オススメありますか」と尋ねてみた。うーんと言って店内を行ったり来たりして、探してくれているのか、本の整理をしているのか、そのうちお客さんの対応をしはじめて、はぐらかされてしまったのか、いや、野暮なこと聞いちゃったかなと思いながら待っていたら、一冊の分厚い本を手渡してくれた。
ヘーゲル『法哲学講義』長谷川宏訳。
縁ある故人のかたの書斎から引き取ることになり、ちょっとずつ読み進めている本だとのこと。その本の重さと値段に一瞬ひるむわたしであったが、Mさんの勧めならばと、半ば乗りかかった船で購入しようと決めた。他の本と一緒にレジ持っていくと、「読みますか」と聞くので「読みます」と返事すると「これは私物です」と。かなわないなあとニヤッと笑うしかない。ずっとそちらに遊びにいくと言いながら行けていないので、先にその本を持っていってくださいと言って、貸してくれた。
昨夜からパラパラめくって読み始めている。
§54 所有は、じかに手でつかむこと、形にすること、ただしるしをつけること、の三種にわかれる。
ここにも個から共同性への進行があります。手でつかむのはまったく個別的な行為だが、しるしをつけるのは共同的な行為であって、観念による所有であり、物との観念的な関係です。
(…)
直接に体の触れているものを出発点とすると、わたしの手の中にあるもの、手を置いているもの、手で触れているものが、じかに手でつかんでいるものです。この所有はまったく個別的なもので、手で触れているものしか所有したことになりません。が、すぐつぎには、つかんだ部分を超えた物の広がりが問題となり、さらには、個々の物と物とのさまざまな問題となる。つまり、なにか一つを所有すると、それにほかのものが結びついてくる。(…)わたしがなにかを所有するとき、知性のおもむくところ、わたしがじかに所有するものだけでなく、それとつながっているものもわたしのものとなります。
(…)
物は、わたしがそれと感覚的に直接関係しなくても、わたしのものでありつづけなければならない。感覚的な関係は欲望の関係だが、いまいう第二の関係は配慮の関係であって、物がいま、ここに、一時的にわたしのものとしてある、と言う感覚的意識を排して、持続的に物を所有しようとする広い意志がそこに働いています。
それが形にすると言う行為です。
(p.122-125)

§ 目黒
目黒区美術館にて行われた土方巽のアーカイブ展示で、演出家のYさんと会い、話をした。
この美術館のカフェには、一台のとても大きな正方形のテーブルが配置されている。テーブルの周囲に、規則正しく椅子が並べてあって、その幾何学的な空間配置は、算数の授業で黒板に描かれた図形をなんとなく思い起こさせる。
わたしの心象風景がそうさせているのかもしれないが、とにかくそのテーブルは大きくて広かった。卓上に遠慮なくカバンを置いても充分なゆとりがあって、テーブル中央へ手を伸ばそうとするなら、たとえ身を乗り出したとしてもそこに手は届かないのではないだろうか。その正方形の真ん中には、おにぎりみたいな石が置かれていて、和んだ。
「握り飯が泣いていると思えば、口に出してしゃべるまでも無!」(p.105)
暗黒舞踏の拠点アスベスト館が目黒区にあったことを初めて知った。そもそも目黒区自体をあまり知らない。(「めぐろ」と言うとき、なぜかわたしは藤子・F・不二雄のキャラ喪黒福造を頭の片隅にイメージしてしまう。)やや鬱蒼とした公園や区民プールには、佇むことのできる程度の暗がりがあった。
人間、追いつめられれば、からだだけで密談するようになる。芥子菜のような物腰で口のなかから変わり玉を出したり、お尻の辺りから無臭の煙玉を手に載せて見せたりする婆さんが近所にいて、よく私はからかわれた。私が流しに立って、みみずを眺めているような子供だったからかもしれない。子供は誰でも、都合よく機会を逃したいという期待に綿々たる恋慕をもち、それにそった息遣いで生きているものだ。蝦蟇の霊気のことや、亀の子石鹸の臭いがついた小学生の私は、もうそこで一生以上のものを送っているような気がしていた。(p.13)
10年ほど前、東京国立近代美術館でフランシス・ベーコン展を見たとき、展示室の隅で、土方巽の踊る『疱瘡譚』の映像が流れていた。床にほどかれた土方の細長い四肢が、瀕死の蜘蛛の脚のように左右に拡がって、不随意に動いている。その映像に釘付けになっていたのは、わたしだけではなかった。小学校低学年くらいの男の子が、映像の前で棒立ちになっていた。その子は、見てしまったことの引き返せなさの真っ只中に立ち尽くして、ただ目は踊る肉体に吸い寄せられていた。
からだが吊り上げられ、運ばれ、置かれるところまで、目を閉じていたが、そんな記憶のそばには、いろいろの物体が横になっていた。そこには尋ね求めるようなものはなかったし、死にたがらなかったり、もう死ぬしかないと決めるようなものも、棲息していなかった。捥ぎたての青いトマトにかぶりついた私は、心の使い方については少ししかもらっていないと気付いたりした。あれやこれや薄暗い気持ちになって家の中へ戻ると、鬢付油で光らせた髪の毛の女の人が、口を鴉のようにあけて家の者と話しをしたりしていた。黒い上等の着物をつけた見知らぬこの女の人は、私を招いて上等の生菓子を呉れたが、細心の心遣いに疲れたあとの私の掌で少しの動きも示さなかった。私には、その菓子に薬のような、言葉のようなものも含まれているように思われた。(p.22)
読んでしまったことの引き返せなさが「病める舞姫」にはある。
ぐったりした心持ちにつながっていなければ、人の行き交いはつかめぬものかもしれない。鯰、泥鰌、寒鮒などを神品として大事にすることも、じゃらじゃら顔を撫でるようにして飴をくれる人を追っ駆けていって丁寧に頭を下げていた仕草も、ぼんやりした心のこの薄暗がりに放してやれるものだ。この暗がりのなかに隠れることを好んだり、そこで壊されたがったりしているものがなければ、どうして目をあけて視ることなどできるだろう。湯掻いたり水に漬けて何日も鍋の中に入れられている山菜や豆類を眺めていたことも、風の騒ぐ日に限って鶏肉を売りに来た、放蕩めいていてあっさりした女の人に座敷のなかを追い廻されたことなども、このぼんやりした暗がりに心細く繋がってくるのだ。(p.19)
隣人、客人、襦袢、履物、盥、病、雪、霙、風、埃などを次々に被る「私」は、ひどく厄介な目に遭っているのに、それらに翻弄されればされるほどからだは解き放たれていく。
押入れの中には、病気も天気もふところ風のように抱き込んで、頭から溶ろかすような匂いが漂っていた。踏切り場も、走っていく機関車も折りたたまれて、いろいろな辛抱ごとがふくふくと育って私を手招いていた。火照った足を水に浸して青菜のようにしてから、手ぬぐいで水を拭きとり、そこへもぐり込むと、極楽気分になるのだった。その暗がりでは、いろいろな語りが口からでてはまたとらえられ、はく息にほどかれて回収されていた。哀れな布きれにさらわれているように、思っていることはみんなからだにゆき渡っていった。「ああやっと漂着したのだ。」太陽をさえぎっていた日中の懐かしい仕草も、こんなにも遠い所に住んでいたのかと思わせるように、腋の下あたりにかくれて私に笑いかけたりもする。蒲団の中の足が、煙猫を持ち上げては落としたりして、重ねられていた。その足の音は、おとなしい小さな鱩のように感じられた。からだに漂着したものを解読しているような時間がからだに結ばれたりほどけたりした。その方が解読しやすいのであろう。(p.40)
土方さんは蒲団に潜り込み、暗闇の中で饅頭をむしゃむしゃ食べるらしい。死を初めて知った幼い頃の暗がりに通じるのだろうか。どこか背徳めいている。
寝ている私の横に積まれた御膳の上に、暗い空が抱き合って降りてきているのを私は知っていた。そこにさびしい霊光も落ちていた。雪でもやってきそうな夕暮れの少し前には、空も抱き合って膳の上にのるのだった。「味噌をよくすってねぎをまぶしてな、少し砂糖を入れておけば。」「あの子は寝床のなかで馬にでもなっている夢を見ているのよ。手足を蒲団からはみ出して。」こうした声に何度私は騙されてきたことであろう。「あれは風が吹いて筵がばだばだと騒いでいるのだから何も恐いことはない。」こんな言葉に何度胸を撫でおろしたことやら。しかし蒲団のなかで萎びて埃をおびているいまの私の脳味噌には、そういう声を留めてはいけないような気がする。埃のなかからはいろんなものがとっていかれた。この埃のなかに降参しよう。(p.125)
家屋の中でも年中冷え冷えとした水屋にいることが多かったのだろうか。漬物漬けたり、乾燥豆を戻したり、白くなるまで干し柿干したり、鼈甲飴を練ったり、海苔を煮たりとまめまめしい。読むと食指が動く。
荒れた大きな大人の掌で大福餅が急に小さくなったり、ぼこぼこした風呂敷包みを開くと萎びて白い粉を吹いた柿が一個、ちょこなんと出てくることが多かった。秋葉の風のなかに立って泣き声に似たものを出していたのも、泣き声を風で濾して、ザラメのような甘さにしてしまいたいというひそかな魂胆だったように思えてくる。(p.114)
鎌鼬とうわさされた風があるように、マントをはためかせて踊り合う者たちがいる。
「ここでな。」白マントが「からだのなかでぬくめたことを、そこいらの雪にばら撒くように、持ちこたえられなくなったように散ってな、ばら撒くことが肝心なのよ。細かい気持ちなどさらさらいらないんだよ。あなたはまさぐっているからすぐ降参したようなおどりをするが、それはただ、からだがあなたにせがんでいるもので、溺れた男にまだ騙されるようなとこがあるよ。気をつけなきゃ。酒の上澄みをみがくような心得はな、ほらこうやって。」と言って蛤が蒲団のなかに滑り込むように、斜めにすすすっと雪のなかに潜ってみせたりした。
「白状するけど。」黒マントがしおれて「私はそんなふうにはとてもおどれない。蛤なんてとても、足がもつれてしまって。そんなことより、なんかまわりの空が曇ってくる塩梅に私はしおれてしまうのさ。そいでさ、おどってる足許深く掘ってくと、雪底に白い葱や牛蒡や湿気た黒い土が注意深くちゃんと生きていた。明るい色だして、いい色艶だして、ちゃんと眼さましてたよ。それで私も、眠ることで見つけることができたあの場所へさっさと走っていってな、小さな牛蒡や蛙つかまえて戻ってきて、また眠りの続きを見ればいいんで、あまり疲れないようにして、からだの貯えだけで氷のむろに眠っていたいもんだ、とついつい思っちゃうの。」と言った。(p.153)
Yさんはある映画に出てくる大野一雄さんの踊りを見ると、心が洗われるらしい。
隣の家の辺りに、濁った白い小さなだるそうなものが現れて、耳のうしろのむず痒さのせいでか、顔が咲くように近づいて見えてくるのだった。隣の娘が私を見ていたのだ。私には約束されているような幻想もなく、咎めだてするような人工物を追うこともなく、何か足りないからだから、時を消したいと思って、身を沈めるようなやり方で、気の抜きとり方を練習していた。そしてそれをみみずに移すやり方で、自分のからだを立聴きするようにして、熱心にやっていたのだ。(p.24)
この冬も編み物デビューできなかった気持ちを、この引用に注いでみた。
桜の頃には、目黒川の川面はピンクに染まる。
引用:土方巽『[普及版]土方巽全集Ⅰ』河出書房新社

§ 太秦
友人夫婦とその赤ちゃんに会いにいった。
嵐電(らんでん)と愛称のつく京都の路面電車に乗って、帷子ノ辻(かたびらのつじ)という美しい名前の駅で下車する。改札を出たところにMさんとSくん、そしてSくんに抱っこされたYちゃんがいた。二人には何度も会ってきたけれど、初めてそこに加わったもうひとり。ほんとうによにでてきたのだ。Yさん、はじめまして!
MさんとSくんは、最近このあたりに新居を構えたそうだ。お家までの道のりを四人でゆっくり歩いた。その道すがらに出くわした印象的なこと——(一)Sくん同様お腹に赤子を収めた通りすがりのパパ友、(二)宅地の中に鎮座する古墳、(三)八百屋さんがオマケしてくれた熱々の焼き芋。
(一)、
パパ友*の登場は、ほんの一瞬の出来事だった。わたしたちが駅前で再会し、「久しぶりですね」などと言葉を交わしながら、ご無沙汰の距離感を互いにはかりあっているすぐそばを、その人はすらっと通り過ぎた。ご近所さんだったらしく、咄嗟にSくんがその男性に向かって小さく挨拶をする。彼の着ているライトグレーのロングコートの胸元には、赤ちゃんがにっこりと顔を覗かせていた。まるでカンガルーみたいに、その人と赤ちゃんは一体化していた。折しもSくんも抱っこ紐でYちゃんと一体化していたので、わたしの脳裏には、男の人と赤ちゃんの一体化がデフォルトの世界がよぎった。
* 果たしてその人を「パパ友」と形容してよかったのか。わたしの子育中の生活環境や人間関係にかんする想像力の乏しさが浮き彫りになっている気がする。
(二)、
その古墳は、碁盤の目状に形成したい宅地計画のもつはたらきかけを、今も昔も一切受け付けることなく、ズンとそこに鎮座していたのだろう。パパ友や商店街や八百屋などを経つつ、ゆったりと歩いてきたわたしたちの道のりは、そこへきて、ぐにゃっと歪みはじめた。道は、この前方後円墳の後円にあわせた半円を描き、そのカーブに沿って家々が立ち並んでいた。古墳は柵で囲われていたが、通常閉まっているはずの門が開いている。ちょうど、ひとりの年配の女性が門から出てきたところだった。その人に、わたしたちも見学できますかと尋ねたら、「向かいの家の人に訊いてください」と。言われた通りにその家のインターフォンを鳴らすと、玄関からおじいちゃんが現れた。見学者の記帳と、門の施錠の説明、古墳を解説したペラ紙の配布といった手続きをもって、わたしたちはあっさり古墳の中に入ることができた。よもや古墳の前の家の人が墓守をしていたとは…**。さまざまなタイミングが重なって知り得た事実である。
そうしてわたしたちは、千年以上前に組まれた巨石のなかにいる。Mさん、Sくん、Yちゃんとわたしは、各々、頭上の石組の隙間に覗く曇天を見上げた。
Mさんの作った演劇で『活動宮』というものがある。この題目を読むと子宮を想起する。本編を見ることはできなかったのだけど、上演に居た人たち、活動宮はどんな居心地でしたか。古墳もまた一つの宮なのでしょうか。
** ただそこにある小さな古墳とともに生活している人たちの形成する町のもつ安心感がある。
(三)、
リビングで動き回るYちゃんを中心とする茶話では、以前のような会話は成り立たない。わさわさ、ぐるぐる、べえべえしながら、この小さな人と今一緒にいるのだなあと思う。そんな毎日を二人は過ごしているのだなあと思う。立ち寄った八百屋でサービスしてくれた焼き芋をみんなで分け合って食べた。Yちゃんは焼き芋を手掴みでもしゃもしゃ食べている。Yちゃんと食べる焼き芋がとんでもなく美味しかった。焼き芋ってこんな食べ物だったんだなあ。まだ10ヶ月くらいしか生きていないYちゃんは、すでに焼き芋の美味しさを十全に知っている。Yちゃんの世界がある。黒目が大きいねえ。
