2026/8/31

半年ぶりの帰省。
京都駅のホームに降り立った瞬間、むわっとした大気に身体が包まれる。岩茶房で夏の終わりを祈念して皆さんと乾杯。アンサンブル・ゾネの定期稽古に参加。
翌日、出町柳の稽古場を借りて、川瀬亜衣さんと何人かのお友達たちと過ごす。8月頭に南伊豆で久保山さん夫妻に教えてもらった「役に立たない話をする会」をやった。他に、前転・後転の練習、子宮のエナジームーブメント(fromコートジボワール)、「河童中」もした。基本的にバス移動、人によっては徒歩圏内でこうして会うことのできる関係人口の密度は、京都ならではと改めて実感。その後、30回目を迎えた喫茶文に参加。せっかくなのでその内容をここに記します。

どうやら私の彼氏は三つ子らしいんだけど、彼はずっとそのことを隠そうとするんだよね。コンプレックスってのがあるのかな。顔が同じ人間が3人いることへの。もちろん全く同じなんじゃなくて、似てるってことだよ。まだ会ったことないけど、彼が兄弟たちと並んで歩いていたとしても、私、誰が彼氏かってのはわかると思う。似て非なるものが何かって、わかるのが愛ってもんでしょ。
……と海から上がったばかりの人魚は物憂げに語っている。彼女はまるで、アンデルセンの「人魚姫」そのもののようだ。鱗を愛おしげに撫でながら、人魚の世界を離脱して、彼の愛に身を捧げたあの本人役を演じるという大役を果たした自分自身に酔いしれているのだ。

※喫茶文筆員が喋った内容から、5人それぞれがチョイスしたワードを用いて書いた——コンプレックス、三つ子、離脱、人魚、本人役。執筆時間15分程度。場所、ritorito。蒸籠蒸しセットとレモネード(を注文したつもりだったが、今思うと多分あれはジンジャエール)。

三日目は妹の新居訪問。午後、岩茶房店主の上田博実さんと、炎天下、東本願寺そばの庭園「渉成園」を訪れ、お庭の構築美と朴訥としたユーモアを満喫。岩茶房スタッフ作川くんが週一でやってるお店を突撃訪問。夜はゾネ稽古に参加し、お夕飯をいただく。これだけは言わせて「ゾネご飯美味しい」。
最終日は祖父母に会いにいく。90歳越えの二人とも耳が遠くて、大声出すのを諦めて身振り手振りで会話している。午後に、母が行きたいという東九条の「チームラボ」へゆく。来場者の探究心を刺激しようとする展示のようだったが、その割にスタッフが鑑賞方法をインストラクションする場面が多かった。そこで表現されていたものの多くは、莫大な電力を用いて作られる「自然の模倣」だと思った。当然、言及はなかったが、この土地の記憶について思いを馳せずにはおれない。

数日間、会う人みなみな口を揃えて「また暑さがぶり返してきた」と。

2026/3/22

昨年の11月、花粉症による鼻水や喉の腫れがいつの間にか風邪に移り変わり、ぐずついたまま二週間近く過ごすという経験をしたが、この一週間もそれと同じような状態が続く。この一月、人に会いに外出することが多かったから、疲れが溜まっていたのかもしれない。帰省を二月のうちにしておいてよかった。今だと帰ったところで心が乱れてしまう。関西に住むアーティストが仕事をしに首都圏にやってきているのを見ると、終わったら帰れて良いなあと羨ましくなる。かといって今すぐ帰りたいわけではないけれど、30年以上過ごした土地の掛け替えのなさというものがある。喪失には人と共有できる部分もあれば、できない穴のようなところもあるのだなあと、京都で友人たちと再会して思った。(その穴はそれぞれの仕方で癒す努力がなされているものだ。)また、いまの自分には10年来、京都の街でそうしてきたような、次の創作にまつわる悩みはもうないのだとも、仲間たちとのお喋りから感じた。男性ミュージシャンが二人でさびしさという曲を歌うのを聴き勇気づけられる。

2025/12/6

来年2月11日で91になる祖父が、憲法記念日やなくて紀元節いうてなあとお馴染みの誕生日トークを繰り出したので、ほんまにその日なん?とツッコミ入れたら、数秒停まって、ほんまやほんまや、アンタの云う通りかもしれん。ややこが生まれたから役場に届けてください言付けられた人がええようにしてくれたんかもしれん!とノリで返してきた。
耳遠いからさっきまで、え、なんやて?のディスコミュニケーションやったのに。
こっちではノリツッコミを封じて黙ってるとどんどんいいひとになってきてるのかもしれん。ひとの誕生日疑うくらい意地悪やのになあ。

2025/9/4

台風がきている。
ここらへんにやってきた一つ前の台風は、夏のはじまりだった。はじまりに一つ、おわりかけに一つ。あといくつやってくるか。
台風のたまごという気象用語があるらしい。
海上で発生するそのたまごは、どんなきっかけで生まれるのだろう。
海と空のはざまを、トビウオが跳ねたその小さな力動が、風の流れに乗っかって、ついうっかり渦を描いてしまったか。
それは地球が手綱を握る風。肚に力こめて世の中いっぱいにまくり拡げる風。


林勇気さんがはじめた、世界一小さな映画祭に行ってきた。
記憶と記録にまつわる映像作品と、スライドや幻灯機から投影された「うつるもの」の原初にふれる鑑賞体験。
映像には、はじまりとおわりがある。でも、見ているときは、えいえんだ。
「えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい」と歌ったのは笹井宏之さんでしたか。
子どもの作った泥団子みたいにまん丸な言葉は、口の中で舌をころがして作られたのだろう。
世界一小さな映画祭は、小さいけれども魚の小骨みたいにちくっと刺さりもする。
喉の奥のやらかいところでの傷だから、なおさら体の記憶に残る。


新井英夫さんにお話を伺ったとき、癒すってどういうことなんでしょうかね?と尋ねたことがある。
そしたら新井さんは、昔から鬱血したところに鍼をチクっと刺して悪い血を外に流し出しちゃう治療があるんだけど、そんなふうに循環を促す力のことじゃないかな、出たものを受けとめるお皿とセットでね、と。
こないだ新井さんにおそわった野口体操は受け皿みたいな存在なのかもしれない。


ここらへんでは、富士山がわりと普通に見える。
見える日と見えない日があって、見えるとやっぱりいたんだなと思うし、かといって見えなくっても支障はない。
江ノ島の灯台でバイトしてたとき、ある日やたらとスッキリと裾を広げていた富士山を目にしたひとりのお客さんが、「フジサンダー!」と歓喜の声を繰り返しあげたことがあった。
彼の大声は広場に響きわたり、付き添いの人は少しいなしていたけれど、聞いた人がついほころぶほどの純情な、富士山にふさわしい大声だった。彼はみんなの代わりに叫んでくれたのかもしれない。
写真はネパールカレー屋さんでテイクアウトした時の待合室の風景。

2025/3/24

生きてるだけで、その土地と自分が紡ぐ繭のような小宇宙がかたちづくられる。

あのへん、このへん、そこられん、あっちらへん、たぶんあそこ。
その人なりのコスモロジーが下地にあっての歩く嗅覚をまとって、細い糸を吐く。

ちっぽけな喪失も、からだは大袈裟に反応する。
ちゃんと戸惑う。

生き物の鼻息は温い。

2024/12/20

水俣・京都展会場前の広場で、前田愛美さんと路上お話し会をしました。

メキシコ系アメリカ人の詩人グロリア・アンサルデゥーアの『Borderlands/La Frontera』第1章にまつわるお話し会です。

ボーダーランズは、不自然に引かれた境界線上に、曖昧な未知の混血のカルチャーが生まれるところ。あっちにもこっちにも居れなくて、緊張の網の目の中で息をひそめて生きている。切り立った細い細い道。ストリップ。
メキシコ-アメリカ国境の開イタ傷口。
その有刺鉄線の先っちょが、錆び付いた切っ先が、わたしたちのホーム。

未だ解決されてない、認定とはなにか。
なかったことにしないでと、マイクを切らないでと。
水俣展で。
展覧会は22日まで開催。

これまでの読書会で、他の人の言葉選びやニュアンスの読み取りにハッとさせられてきた。少しばかり我が事を忍ばせ合ったりもする、オンラインの密室。

それが、路上に出て、マイクつないで、声出すは、、、宛先が広い、散じてゆく、声。
白人のグリンゴが先住民の土地を奪ってね、、、と、テキストの話をしたら、わっ気づいたら「運動」みたいになった。
わたしたちが隅っこでしていたお話しが、みやこめっせ前を道すがら歩く人へ、バス待ち人へ、タクシー運転手へ、スマホで私たちを撮ってゆく観光客への街宣みたいになった。

演説が力強くって、思わず拍手したくなるときに罹るフィクションの病が何かわかったよ。

前田さんはキッチンマットの土地にいる。
私はモコモコじゅうたんの土地にいる。

今ならわかるよ、
「The Homeland, Aztlán/El otro México」
わたしはこちら側のメキシコ人だよ
わたしはこちら側の女だよ

過去が私を前に押し出して
未来が私から前に伸びてゆく

2024/10/19

クリスチャン・リゾーの「D’après une histoire vraie」を見た。

リゾーがイスタンブールで垣間見た路上ダンスがインスピレーションになっているそう。その遠い踊りの記憶は、この振付家にとって、もはや事実かどうかもわからない、謎としかいいようがないものだったろう。踊りを見ていて、一体どうやって作ったのだろうと感嘆するものがあったが、謎を囲んで、この振付家と10人の男性ダンサーとドラマーから産まれちゃった、ってなのがホントのトコなんじゃないか。
踊りは人に記憶されてゆくものだとつくづく思った。振付家は、その人自身のためでも社会のためでもなく、踊りそのもののために仕事してるんだ。先日のオラ・マチェイェフスカの「ロイフラー・リサーチ」「ボンビックス・モリ」でもそう思った。

埼玉近美の「木下佳通代展」もとてもよかった。若い頃の理知的な作品が、50を過ぎたあたりで一気に変わる。絵そのものとしか言えない抽象画に。展示室でびっくりする。スタイルは変わっても見ているものを一途に提示しつづけると、ここまでゆけるんだ。

「D’après une histoire vraie」の翻訳は、本当にあった話から。ソフィ・カルの初期の本「des histoires vraies」 本当の話は、わたしにとっての芸術の原体験のひとつ。

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